無限多世界解釈

前から思ってたことを言語化しておこうと。

 

ゲームとかアニメとか小説とか漫画とかで、パラレルワールドが出てくることがある。過去のある時点で、何かしらの選択や結果が異なる、別の世界だ。歴史のIFルート。何かしらの作品のファンなら誰でも考えてしまうそれが、もしあったら、という世界観。まあ面白いのだけども、そういうのを見かけるたびに俺は思うのだ。世界が分岐するというのはどういうことなのか、と。

 

物語的には、誰かが何かをした/しなかった、何かを成し遂げた/成し遂げられなかった、運がよかった/悪かった、のような感じで分岐させるのがわかりやすい。しかしだ。人間の行動だけが、行動の結果だけが、世界を分岐させる条件であるというのは、いくらなんでも都合が良すぎる。わかりやすすぎる、というか。俺がここで今、6面体のサイコロを振ったら、世界は6個に分岐するのか?冷静に考えておかしくないか?

もっとこう、例えば量子力学的な感じで、ミクロの確率があっちに倒れるかこっちに倒れるかで世界は莫大な分岐をし続けている、とか言われたほうが納得がいく。しかしこれだと今この瞬間にも数えきれないほどの分岐をしていることになる。でもそうかもしれない。事実上、世界は、宇宙の始まり時から(もっと前からかもしれないが)、何かしらの確率により、無限の分岐をし続けている。と言える。のかもしれない。

 

パラレルワールドが無限にあると考えると、この世は楽しくなる。

無限にあるということは、あらゆる世界が実在するということだ。例えばハリウッドの有名な映画の世界も、売れてないマイナーな漫画の世界も、こっそり気に入っているエロゲの世界も、無限のパラレルワールドの中には実在する。そう、実在しているのだ。貴方が日頃妄想して、誰にも話したことのない、公開すれば大ヒット間違いなしの物語も、無限にあるパラレルワールドの中には実在する。

そして、世界は無限にあるので、例えば今現在これを読んでいる時点の貴方が異世界に突然飛ばされて大活躍する世界も実在する。

ん?何かおかしい?いや、そんなことはない。世界は無限に存在するのだ。だからどんなことでもありえた世界が存在する。

 

この無限多世界解釈(と名付けよう)に基づいて考えると、例えば時間移動についても説明ができる。

例えば主人公が過去に行ったとする。主人公の主観的には確かに過去に移動したように感じる。しかし、実際には、「元の世界と全く同じだが別の世界の、歴史のある時点に、未来に生きた記憶を持った人間が突然現れた世界」の物語に移っただけ、と考えられる。従ってそこで何をしようが、別の世界なので元の世界に影響はしないし、そもそも世界移動してないし、どうでもいいということになる。また、元の世界に戻るような行動をしても、それは元の世界に戻ったのではなく、「元の世界と全く同じだが別の世界で、突然人が消えて、過去で活動した記憶を持った人が突然現れた世界」の物語に移るだけである。もちろん、体を構成する物質や記憶その他もろもろ、怪しいところは一切ない状態であるからして、本当に過去に行ったのか、実は無限多世界解釈が正しいのかは、証明できない。主人公の主観的には時間を移動したと信じることができる、ということだけは言える。

 

無限の世界があるということは、今いるこの世界とまったく寸分違わず同じ世界も、また無限に存在していると言える。ちょっとだけ違う世界も無限にある。突然魔法が使えるようになっちゃう世界もあるだろうし、ゾンビが沸いちゃう世界もあるだろう。なんせ無限にあるのだから、想像する限りはあるし、想像できない世界も無限にあるわけだ。妄想がはかどる。素晴らしい。

ただ一つ不満があるとするなら、常に何か不思議なことが起こってもおかしくない状況だと言うのに、これを書いている俺の身の回りには何も起こらないということだ。なぜよりによってこんな世界に俺はいるのか。納得いかない。