成功している人とできない人

本屋さん行くと、成功しちゃった人の秘訣やらなんやらが書いてある本が並んでたりする。
ああいうのが参考にならないのは、成功できる人ってのは成功するための最低条件を生まれつき持っているからであって、それを持っていない人にとっては絵に描いた餅でしかないからである。


なんだか物議をかもし出しそうな話だが。
とりあえず、成功するためにはそれなりの才能と不断の努力が必要なのは言うまでもない。
「できるやつはいいよなー」なんて言うつもりはなく、成功できる人というのは誰でも大変な努力をしているものだ。
んでもってチャンスが舞い込んでくる運と。
つまり、自分の才能が活かせる分野を見つけ、努力し、運さえあれば成功できる。
でも、それをもってして「全ての人に成功できるチャンスがある」と言い切ってしまうのは、紛れもなく成功しちゃった人の理論だ。


世の中、努力している人ってのは意外に少ない。結構テキトーに生きているもんだ。
努力していないからできないんだ、って言うのはよく聞くはなしで、それはデキる人が努力しない人に対して言っていることが多い。
シンプルに、デキる人は努力しているからできるわけで、その理屈は非常に理解できるのだが、じゃあなぜ努力しないのかということを考えようとはしない。
デキる人というのは、努力できる条件が揃っていたからできたのであり、そもそもはじめから条件が揃っていない、努力できない人のことは理解できないのだ。
これは、成功しちゃった人/成功できる条件の無い人と、非常に似た構図となる。
つまり成功した人は成功できない人のことを理解することはできない。
理解できない人が何を考えているか、なにがどうわからないのか、わかるわけがないから、そういう人向けに役に立つ文章など書けるわけがない。


ところで、成功に必要な条件の一つである才能の活かせる分野、これが見つかるかという話だが、例えば家庭環境だったり、文化的な理由だったり、政治的なものだったり、様々な事情で、一生見つからないという可能性もある。
努力できない人ってのは、努力に見合うだけの何か、イケるっていう感触みたいなのを実感できないから、努力する価値を見出せない。
成功条件の努力・才能が活かせる分野と、努力できない人の努力・イケる感触は、同じものであるとみなすことができる。
「全ての人に成功できるチャンスがある」という理論は、誰にでも才能が活かせる分野があるはずだ、という仮説ではあるが、もし仮にそうだったとしても、成功している人がほんの一握りであり、才能を実感して努力できる人があんまりいない現状を見ても、その分野に出会える可能性がほとんど無いことがわかる。


人には興味のある分野というものがあって、それが趣味になったりする。
でも興味のある分野=才能の活かせる分野であるかというと、案外そうでもない。
たとえば趣味で何かを勉強しようと思っても、別に才能があるわけでもないから、そんなに前向きに努力するわけでもないし、趣味なんだからそれでぜんぜんよい。
ところが、そういう時に読むものとなると、その分野で才能を発揮している人が書いてる文章だったりするのだ。
ここで、そのギャップが問題になる。
もちろん、趣味でやろうとしてる人に向けて書かれたものであれば、わかりやすく書こうと努力しているかもしれないが、結局のところそれは表面的なことでしかなくて、そもそもそういう人のことが理解できてなければ、そういうものは書けないのである。


DXRuby関連で初心者向けをアピールし、入門記事を書いている俺はどうなのか、というと。
少なくとも努力などしてないし、才能があるとも思えない。趣味でいい加減にやっている。
DirectX使えてるしライブラリ作って公開もしているが、さすがに25年以上もこんなことやってれば誰だって作れるようになるだろう。
逆にそんだけやっててこの程度なのだから、やっぱりたいしたことないのだと思う。
でもだからと言って模範的な文章が書けるのかというと、そうとも言い切れないわけだが、少なくとも溢れる才能と不断の努力など無い人のことは、自分がそうなだけに理解できるつもりだし、そういう記事に関しては読む人のことをよく考えて書いていこうと思っている。
結果としてうまくできるかどうかはわからないが、とにかくそう思っている。


あ、このブログの記事は別ね。