Rubyに絡んでいる人たち

現在、Rubyになんらかの形で絡んでいる人には、ある切り口でみると、大きく分けて2種類の人がいると言える。
それは、オープンソースの世界に馴染んでいる人と、そうでない人だ。


いくつか具体的な例を挙げるなら、


Rubyは自分でコンパイルして使うものである。
・ソフトウェアはマルチプラットフォームが当たり前。
・普段はLinuxを使っている。仕事でしかたなくWindowsも使う。


という感じ(決め付けではなく、あくまでもそんな感じ)の人はオープンソースな人であり、


・ソフトウェアは実行形式のものをダウンロードするのが当たり前。
・OSなんてWindows一択だ。
・作ったソフトもWindows専用で何も問題はない。


と(こっちは決め付けで)考えるのがそうでない人だ。
これは、どの世界に身を置いているかという話であり、お互いにそういう人が存在していることは把握できるが、その考え方、感覚を本当の意味で理解することはできない。
宗教や文化と似たようなものかもしれず、だから宗教論争とか揶揄されたりもするわけだ。


で、この分類、言い方を変えると、Rubyの開発者側と利用者側、と言うこともできる。
現時点で開発に参加しているかどうかではなく、開発に参加しようと思えば、文化的障害なしに参加することができる、という点で。
俺はDXRubyを作ってSourceForge.jpで公開しているから、ある意味では開発者側と言うこともできるのかもしれないが、自分としては、開発もやってるが、あくまでも利用者側の立場だと思っている。
オープンソースの文化に馴染むことはたぶん無いだろう。
Windowsにずーっと浸かりっぱなしだし、Unix系は仕事でいくつか触ってたこともあるが、どうしても慣れない。3年ほど毎日使ってたけど、結局慣れていない。いつまでも違和感がある。
でもそういう感覚は、おそらく逆方向にもあって、向こう側の人たちはWindowsを使うと拒否反応が出るのかもしれない。
俺にはわからないが。
こういうのは意外に根強いもので、普通一般のWindowsユーザーにとっては、オープンソースな雰囲気が漂っていたり、極端な話、マルチプラットフォームって言われただけでも違和感があったりするのである。


WindowsユーザーでRubyを使う人が増えているのは、mswin32パッケージが手軽なインストーラという形で提供されているからだ。
ぶっちゃけ俺だって、arton氏のActiveScriptRubyがあったから使う気になったわけで、無かったら使っていない。
なぜかというと、インストーラで提供されているものであれば、それはWindows用のものであると思い込むことができるからで、そうすることで違和感が薄れるからだ。
そういう人たちなのだ。大多数のWindowsユーザーってのは。


こう考えていくと、Ruby用のゲームライブラリは、実はリリースした時点で、というか、開発を開始した時点で、すでに明確にターゲットユーザーが決まっていることがわかる。
SDLを使うライブラリは、SDLといわれただけでWindowsユーザーは避ける傾向にある。
なんとなく、よくわからないモノだから。
マルチプラットフォームってことは、汎用的なんだから、パフォーマンス悪いんじゃない?」とかテキトーなコトを言いながら、あーだこーだいいつつ、結局使わない。
そんな人たちにとっては、Windows専用のDirectXライブラリが存在するということが、Rubyを開発プラットフォームに選択するための条件となる。
逆にDirectXライブラリは、オープンソース文化に馴染んでいる人にとっては、ゲーム開発に使う条件を満たしていない。
ここまで綺麗な棲み分けができることって、そうそう無いんじゃないかと思う。


まあ、こういう話は書こうと思えばいくらでも書きたいことはあって、今日はもういい時間になってしまったからこのへんにしておこう。
また機会があったら、いろいろ考えることがあったら、そのときにでも思ったことを書いてみることにする。