DXRubyの目的とその手段、目標など

なんだか慌しくなってきた。
流れに身を任せているとどんどん加速して限界を超えてオーバーヒートしてしまいそうだ。
こんな記事を書こうと思うぐらいだから、既にヤバい状態に突入している可能性が高い。


着眼大局着手小局、という。
夢は大きく持ちつつ、足元を見ながら着実に行こう。
とはいえ、もともとDXRubyは「これでRubyの世界を変えてやるぜ」とか考えて作ったものではない。
俺が個人的に、Rubyで簡単にゲームが作れたらラクなのになあ・・・と思って、理屈から言えばできるんじゃね?って思って、作ってみたものだ。
んでもって、こんだけ動いてしかも簡単なんだから、他の人も使って嬉しいかもしれないなーって感じで公開したのだ。
つまり、DXRubyが発生した当初の目的は既に達成している。
DXRubyには、俺には、着眼すべき大局は無い。


今後、更に進化したDXRubyを想像してみて、それで何を成し遂げることができるだろう。
要望で挙がってくる機能を実現して、ユーザー層に広がりが出てきたときに、それは何になるのだろうか。
例えばRubyゲーム界が盛り上がる。
例えばRGSS対抗のRubyゲーム開発環境ができる。
例えば同人ゲームなどでもRubyが使われるようになる。
何かが達成できるかもしれないチャンスが目の前に現れたとき、それに飛びつくのは正解なのか。
たぶん、そういうのをゲットできる人が、人生において成功できる人なのだろう。
一瞬の迷いで、大きなチャンスを永遠に失うことにもなりうる。


ところが、俺は自分の人生において成功したいと思っていない。
俺の人生は既に余生であって、やりたいことをダラダラやって過ごしたいのだ。
成功するにはものすごいパワーをかける必要があり、一度そういうものに巻き込まれてしまえば、あとは望む望まないに関わらず、その世界に放り込まれる。
虎視眈々と何かを狙っている人であれば望むところなのだろうが、俺的にはついうっかり飛びついたりしないように気をつけなければならない。
どうせすぐパワーが切れて沈み込んでいくのは目に見えている。
「こいつは何かすごいことを成し遂げそうだ」と思わせといて、何もせずに一生を終えるタイプだと、なんかの性格判断で言われたことを思い出した。
そうかもしれない。


具体的に考えてみよう。
DXRubyはなるべく簡単に扱えるように考えて作っている。
狙いはゲーム開発の初心者とRubyそのものの初心者、もひとつ言えばプログラミング自体初心者。
もちろん、それなりのスペックは出ていると思うから、Rubyでコードをバリバリ書ける人ならそれなりの規模のゲームも作れるかもしれない。
使う人が拡張したり改造したり、自由にしてくれていいし、本格的なゲームを作れることを証明してもらえるならそれはとても素晴らしく、嬉しいことだ。
でも、俺が注目するのはあくまでも初心者。
常に「始めたばかりの人が挫折したりしないように、どうすればいいか」を考え、なるべく多くの人が「ゲームプログラミングは楽しい」と感じられるよう、DXRubyは、コミュニティは、どうあるべきなのか。


世の中、ゲーム用のライブラリっつーのはほんとにたくさん出ている。
ユーザーが多いものになると、簡単なライブラリを使いこなしてすごいものを作る人や、難しいライブラリを簡単に扱えるように解説記事を書いたりする人が出てくる。
でも結局のところ、どんだけサポートする人がいても、もとのライブラリの枠を超えることはできない。
HSPで最先端のCGを自在に使うゲームを作ることはできないし、どんな解説記事を書いてもDirectXが簡単になることはないのだ。
その方針、作者の意思、目指すところというのは、そういう意味で非常に重要だ。
DXRubyは初心者向けである。
公式にそう謳っているのだから、それは間違いない。
EnjoyProgrammingのRuby用に作った、EnjoyGameProgrammingのDXRubyだ。
着眼すべき大局は無いが、方向性だけは見失わないようにしよう。