敷居が高いのは人類の損失である

無茶なタイトルをつけた。
敷居が高いというのは、俺的な認識では、前提知識が必要である、ということだ。
なんとなく興味を持ったときに、興味のおもむくままにそれをする前に、まず何かしらの勉強をしないといけない。
そういう場合、なんだか興味がしぼんでしまって、やめてしまう。
とてももったいない。


たとえば俺みたいなのが、「物理シミュレーションって面白そうだなあ」って思ったとしよう。
でも、物理シミュレーションをするには、基本的な物理とか数学とかの知識が必要だ。
勉強がカラッキシだめだった俺は、そういう本を読んでもさっぱりわからない。
んで、しょぼしょぼーっとなって、やめてしまう。
せっかく興味を持ったのに、それに触れることすらできず、興味がしぼんでしまうのは、ひょっとしたらその分野で大きな功績を残すかもしれない人を門前払いすることであり、人類にとって大きな損失なのかもしれない。
別に自分が物理シミュレーションをやったら大きな功績を残すと豪語しているわけではない。一般的な話としてだ。
「ほんとにやりたいことなら頑張って勉強するだろう」っていうのは簡単だ。
でもそれは第三者の意見であり、はっきり言ってしまえば、自分にとってどーでもいいからそう言える。
興味をしぼませるのではなく、興味をふくらませてあげられるとっかかりがあれば、人はもっといろんなことにチャレンジできる。
ある分野の未来を考えるならば、少しでも門戸を広げられるように、何かをしろとは言わないが、考えるぐらいはしよう。
まあ、物理シミュレーションの場合はどーしようもないのかもしれないが。


何年か前、イギリスに行ったときのこと。
朝っぱらからフットパスをひとりで散歩していたのだが、向こうから家族づれで散歩してる人たちがきてすれ違った。
自慢じゃないが俺は英語は全くだめで、中学程度の単語も知らない。
すれ違いざま、おじさんが「good morning」って言ってくれちゃったから、しょうがなくせいいっぱいそれっぽく「ぐっもーにん」って言ってみた。
そしたら、おじさんがニコッって笑ってくれて、おばさんや子供達も「good morning!」って言ってくれた。
英語がよくわかんなくても、なんとなく通じてるよ!って思って、とても嬉しくなった。
ちょっと英語を勉強してみようかな、とか思ったものだ。
してないけど。
たとえば、小さい子供が英語に興味を持ったとき、「まずは文法から勉強しなさい」って言うんじゃなくて、上記のような経験をさせてあげることができれば、それが現実的かどうかはさておき、とてもよいのだろうと思う。
そしたら、もっと言葉が、気持ちが、通じるようになるためには、どうすればいいのかとか考えて、自分から文法や単語を勉強したりもするんじゃないかな。
興味というのはそうやってふくらませてあげないといけない。

長くなったので次回に続く。